愛する者を失った永遠の後悔

  • 2018.12.16 Sunday
  • 23:17

JUGEMテーマ:大切な人を失う辛さを生きる力に変えなけりゃ。

 平成最後の年末を迎えて,今まで印象に残った映画でも再度視聴しようかと思って,その時ふと頭に浮かんで来たのが「悪人」という妻夫木聡主演のシリアスなもの。この映画の全てが俳優陣の卓越した演技力で成り立っていると再度感じたが,その中でも特に象徴的だったのが,やはり,愛する娘を殺された名優柄本明演じる父親が,何かこの人間関係が希薄となっている現代社会に対する怒りとも違う感情を,いわば達観したような目でただただ淡々と口にする部分だ。その眼差しの先に見える光景は,直接的には,殺害には関わっていないが,娘の死因を作ったとも言える金に不自由しない裕福な学生が,殺された娘を深く思慕する父親の行動を,まるで馬鹿げた行動だと言わんばかりに,面白おかしく笑いながら友人達に話している場面で,その一切を正視する入り口のドアの前で,父親はすぐ後ろにいるその学生の友人に語りかける。この場面は,再度観ても自然と感情が揺さぶられ,頬伝う涙を抑え切れないシーンなので,今年の最後にここに全て記しておきたい。「あんた,大切な人はおるねん?…。その人の幸せな様子を思うだけで,気分まで嬉しくなってくるような人は?…。今の世の中…,大切な人がおらん人間が多過ぎる。自分には,失うものがないちゅう思い込んで,それで強くなった気になっと〜。…だけんよ〜,自分が余裕がある人間と思いくさって,失ったり,欲しがったりする人を,馬鹿にした目で眺めと〜。…そーじゃないとよ。…そーじゃ人間は駄目とよ。」と。この言葉を,柄本明演じる父親がゆっくりと語っている間に,これまた名優の今は亡き樹木希林演じる主役(妻夫木聡)の祖母が,無理矢理不当な高額で購入させられた漢方薬の代金を取り返そうとする場面でも,やくざものに全力で抵抗してテーブルの足にしがみつきながら,「必死に頑張って来たんだぞ。頑張って来たんだぞ〜。」っていうセリフと映像も後押ししてか,「何が人間にとって本当に大切なものであるのか?」を考えさせられるものであった。

 そして,またも過去の苦い事実が思い起こさせられた。自分の何とも情けない程の気の弱さ故に,大学時代に同学年の同学科であるため,ほとんど同じ教室でよく顔を会わせては,あれ程憧れを抱いていながら会話もせず,その上お互いの所属のサークルが隣部屋なのにも関わらず,その旧制高校の校舎を使った二階建てのサークル棟の軋む古い階段で,ただすれ違い様に挨拶だけを毎日のように交わしては,いつも直ぐそばでその目映いばかりの素敵な笑顔を,胸を焦がして見つめていた自分がいた。その後,前にも記事にしたとおり,その女性とは結局自分から積極的にアプローチすることはできずに大学卒業という,一区切りの時期を迎えて無念な思いだけが残っているところに,卒業した数年後の大学のゼミの同窓会で,同期の女性から聴いた自分にとってはあまりにも残酷過ぎる現実。彼女が,夫の浮気や仕事の悩みをひとり抱え込み,苦しんだ挙げ句に「自死」という選択をし,なおかつ,本当は「この自分に好意を持っていた。」と聞かされた事実。この二つの事実は,今もなお,自分の脳裏に「後悔」という杭を打ち付けている。たぶん,一生涯この杭は抜けることはないだろうし,自分の心は決して抜くことに同意はしまい。それぐらいの太い衝撃であり,今後の生き様を指し示すべき道標だ。確かに,その夜泣き明かした自分には,ある変化の兆しがあったのを記憶している。それは,この脳裏に焼き付いた「後悔」を取り消すことは決してできないことを自覚し,そうであったら自分はどうするべきかを真摯に考える気持ちが芽生えたことだ。つまり,後で悔いることを如何に無くした人生にこれからもっていかなければならないか,それは,いくら過去にいじめを受け続けたというトラウマが残っていたがための後悔だったにしても,それが基でこのような消し去れない痛みを抱えてしまったのであるから,彼女の死に報いるためには,この今の自分の消極的でネガティブな姿勢や思考を根底から覆し,真逆である積極的でアグレッシブな自分になることを努めて行なうことに尽きるという結論だ。当時,そう決心した自分には,少しずつだが,自分が本当にやりたいことを思慮し,それを行動に移すという積極性が具現化したのも体が感じた。そのひとつが,今もやり続けて決して止めないと誓ったバンド活動での社会奉仕の目的だ。過去の自分を知る知人からは,「お前,本気か。」って,言葉すら出た程,自分から積極的に働きかけた。具体的には,楽器店でバンドメンバー募集の貼り紙を何度となく行い,数ヶ月かかってひとり見つかっては,また,その伝を辿ってという風に約1年程で5人編成のバンドが組めた。その時には「やった。」と思った。そして,そのバンドでは自分がバンマスを務め,皆20代のやる気満々のメンバーばかりだったので,数年に亘ってライブ活動に精を出していたところ,たまたま応募した当時のポップコンに並ぶフレコンの地方大会で県代表にも選出されるまでになった。その勢いもあってか,プロ目指して上京しようという話にまで皆が本気になった程だ。遥か昔の懐かしい話をまた記事にしてしまったが,その後数十年のブランクを経て,また,自分は数年前から「夢」に向ってバンド活動を今に至るまで続けているところだが,これも,全ての始まりは,自分の弱さから言えず仕舞いなった挙げ句,悲報を聞く羽目になった「後悔」が,強く自分の背中を後押ししている。この自分が大好きなバンドでドラムを叩き,それをいつの日か,盲学校生の前で演奏できたらと思うと,胸が沸き立って来る。こういった自分の姿を,目には見えない彼女は,あの時と同じ素敵な笑顔で見ていてくれていると信じたい。

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