心の友こそ,生きる力に

  • 2018.04.18 Wednesday
  • 21:06

JUGEMテーマ:真友こそ希望の光をくれるありがたき存在

 前々回の記事で,大学時代の未だ拭えぬ後悔のことを切々と書き連ねたが,今回は,もう一つ,同じ大学時代の未だ消え得ぬ後悔であり,今なお自分が,いい歳こいて?バンド活動にのめり込んでいる大きな理由となっていることについて,先ずは,またも書き連ねたいと思う。

 あれは,自分が,大学に入学し,所属するサークルも一応決まって一段落した状態のとき,梅雨時の別棟にある古いサークル棟の長い廊下を,たまたま,ひとり何気なく通りかけていたときのこと。「ドラムのできる方募集中」という手作りの看板が,ある部室の前に不格好に吊り下げられていたのを見かけて,話を聞こうと中に入ってみると,2,3人の女子学生が如何にも心地いい笑顔でもって迎えてくれたので,こっちも気分が良くなって「実は,少しドラムに関しては,腕に覚えがあるんですが…」といった感じで話始めると,向こうも「それは,待ってました。」とばかりに話が弾み,コーヒーを出してくれて,ついには腰を据えての話になった。そのサークルは,いわば,幅広く福祉や慈善事業にも手を伸ばしている赤十字サークルで,今回,ドラマー募集の看板を出したは,自分達が遊びながら子供達と交流の場を広めている盲学校の生徒達(小,中学生中心)から,音楽を教えている中で,「ピアノだけじゃなく,他の楽器,特に,ドラムがやってみたい。」という要望が強くあったかららしく,自分に説明する女子学生の言葉の一つ一つにも,その意気込みがその眼力から感じられたほどだ。そして,こんな言い方は不謹慎かもしれないが,双方の利害が一致した結果,自分は直ぐにでも,盲学校側の都合を聞いて,多少は自信のあるドラムを教えることになった。初めてくぐる盲学校の正門。その広い体育館には,対角線上にピアノとドラムとが一つずつ設置されており,出入り口に近い方にドラムが置かれていたが,自分が担当することになったのは,3人の男子児童で,その全員が強度の弱視という,いわば,ほとんど至近距離にあるものしか認識できない程の視力の持ち主だ。安易に引き受けたのはいいが,この子供達にドラムをどう指導したらいいものか,正直,最初は戸惑ったが,目が不自由なのだから,先ずは自分が一番基本の模範?演奏(エイトビート)をし,それをひとりずつ手ほどきでやっていこうと決めた。当然ながら,最初のうちは,叩く場所すらままならない状態だったが,週2回のレッスンで1月もした頃か,教えている方がびっくりした。テンポは遅めだが,3人とも,それなりに,エイトビートのリズムを,タム回しも含めてできるようになっているではないか。これには,はっきり言って,嬉しい悲鳴が自分の中で湧いて来て,思わず,3人に「すげ〜よ。」って笑いながら言っている自分がそこにいた。本当にそう思ったからだ。「これできれば,いろんな曲の演奏ができるぞ。」って3人に言ったら,3人全員が満面の笑顔でもって体中でその喜びを表現していたのがわかり,その波がこっちにも押し寄せて来ては,4人で円陣組んで何度も跳び上がっていた。その後は,自分も,盲学校に行く日が待ち遠しくなり,それを考えてはどこにいても思わずにんまりした顔になっていた。そのうち,反対側で,ピアノを習っている女子児童もドラムをやりたいと言って来たので,「いいよ。」って承諾したところ,後には女子児童2人を加えた6人で,一緒にワイワイと仲良くやることになって,ピアノの先生も苦笑いでこっちを見守る程に,ドラム講習?はその児童達の好評を得るに至った。自分も,その時には,このまま喜びに浸かって過ごせるものとばかり考えていた。しかし,その年の,つまり,大学1年の夏休み。盲学校でも夏休みに入るので,8月中はドラムレッスンも休みになるのを利用して帰郷したところ,ある日突然,猛烈な腹痛に襲われて近くの病院にかかったところ,大腸炎との診断で内服薬をもらって飲んでいたのだが,痛みは多少軽減したものの治ったような感じはなかった2,3日後,またも前回のような猛烈な激痛が襲って来たので,これはただ事ではないとの両親などの判断で,掛り付けの別な病院で診てもらったら,「こりゃダメだ。即手術の準備…」という羽目になり,腹部を10センチ程も切って腸を取り出しての大手術となってしまった。病名は盲腸が破裂したことによる腹膜炎。担当医師には,「もう少し来るのが遅れていたら,命の危険もあった…」と言われるものだった。これにより,3か月程入院したうえに,通院も1か月程したので,大学に戻れたのはその年の暮れ頃になってしまったし,教官には「単位は再試験の結果次第だな。」と突き放される口調で言われた。挙げ句,担当医師には,「ドラムを叩くのはもう少し経ってからの方が…」と釘を刺されていたので,自分の精神状態は,たぶん,その時,相当に落ち込んでいたと記憶している。そのため,あろう事か,赤十字サークルの部員が,自分のところに来て,「子供達が,楽しみに待っているんですが,どうですか。」という問いにも,深く考えることなく否定的な回答しかしなかった。赤十字サークルの部員からは,その後も何度か誘いがあったのだが,自分は同様に冷めたような態度でもって否定的だった。結局,盲学校でのドラム講習はやらず終いとなり,大学の4年が過ぎて,悔いだけが残る結果となった。今も思い出せば,そして目をつぶれば,あの子供達の純真無垢な笑顔が自分の心を締め付ける。「何故,あの時続けてやれなかったのか。」とね。

 思わず,前置きが長くなったが,自分が音学を続ける意義の源泉である,この後悔だらけの過去を簡単なメールにして,一番懇意にしていて,大変リスペクトする弾き語りミュージシャンの人に先日送信する機会があったが,それに対する返信内容に,今後自分がこの歳で音楽を続けて行くうえでの,まさに「元気イッパツ」となるようなエネルギーをもらえることが記されてあった。「後悔があるという事は,先に描く未来を叶える力がある事を,自分自身の気付かない奥の方で分かっているからだと,自分は思います。ですので,決して夢を諦めないで叶えましょう!」。こういう内容だった。ただただ,有難かった。一人でも自分の気持ちをこんな風な意味深い言葉でもって理解してくれる人が傍にいる,それだけで,百人力ではないけれど,底力がじわじわ湧いてきた。こういう人こそ,真実の友,なんだろう。そう確信を得た自分がいる。そして,この週末の日曜日に,自分の原点とも言える曲を製作して発表するので,是非来て欲しいとの誘いも受けた。もちろん,行くし,そして,また,初めてお会いした時のごとく感動するだろうと思っている。

 

PR

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM