人間が生きる意義とは何?

  • 2018.05.20 Sunday
  • 23:34

JUGEMテーマ:生きるのに意味はあるの?

 毎朝,定時に職場に行って,引き続き積み残された仕事に取り組む。この仕事,決して無くなることはない,自分に課された規律正しきルーティーン。そして,一日の活動時間のほとんどをその場で過ごす。仕事をこなすことによって生計を立てているのだから,これを拒んだら,すなわち,自分の生活は家族を含め成り立たなくなる。その意味では,好き嫌いに関わらぬ,一種の塀の中の生活だ。塀の外を覗き見るには,自分に余程の勇気と金もいる。だから,ある意味で,ほとんどの人達は,それを放棄し,風に吹かれる吹き流しになり,塀の中の生活に自分の世界を見出すのかも知れない。そうかといって,塀の外を覗き見し,憧れ抱いて待ってても,向こうからその憧れがこっちに向って手を振る訳でも何でもない。見ているだけでは,その憧れが増幅し,その重さによって押し潰される結果になる,そんなところが落ちだろう。そして,仮に,勇気を奮い,お金も払って,その憧れとやらの世界の中に足を踏み入れてはみたものの,いや,違った,こんなはずじゃないはずだ,なんてことだって多々あるに決まっている。こんなふうに考えを巡らせていると,究極的には,生きている間に,「塀」を取り払うことなんて決してできやしないことに突き当たる。じゃ〜自分は,何のために生きているのか,ただ,このまま老いを迎えて死を受け入れる,そのためだけに日々の日常を過ごすのか,そんなことって,生きているって言えるのか?…それって,自分の魂に蓋をした唯単なる操り人形ってことじゃないの…じゃ〜反対に,今ある塀を破壊して,果たしてその先に希望という名の自分の目指す桃源郷が存在するのか?そんな大きなリスクを背負って,おまえ本当に生きられるのか,万が一に,理想の姿でなかったときに…。

 こんな愚痴にも思える自問自答を繰り返していると,やはり,尊師亀井先生の言葉が去来する。著書「絶望からの出発」の「自殺」と題する章の中で,こんな趣旨のことをおっしゃっていたのが忘れられない。「人生不可解」と結論付けて華厳の滝から投身自殺した藤村操のことを取り上げて,「あまりに正しいことを,あまりに率直に眺めつづけると,死ぬ以外にないのかもしれません。」とね。すなわち,この世に生を受けたすべてのものは,特に万能の思考力という智慧を授かってしまった人間は,「人生」という,ただそれだけで「正しいもの」に対して,取り留めのない疑問を投げつけてしまっては,そっくりそのままの形での善と悪とに関係しない仕返しを受け,結局はその力に屈してしまうと言うことだろう。だから,人間は,ただ「生きて行く」こと,それ以外には,残されたものはこの世を去ることだけなのだろう。しかし,この「ただ生きる」が難題なのだ。十人十色の人間社会を生き抜くのだから,喜怒哀楽の感情が内包されたひとりひとりの人間にとっては,例えりゃ,サッカー選手が敵陣のゴールに向けてフェイントで一人抜いては,またもフェイントで一人抜きというように,対面する相手相手に対応しながら生きなけりゃいけないのがこの世のルールだ。この人は嫌いだ,あの人も嫌いだ,などと愚痴呟いてめいっていては,ひとりとして同じ性格の人物がいないこの世では,そもそも生きてはいけないはずだ。

 そうは言っても,自分が本当にこの世に存在した,生きていたんだという「意義」だけは,決して残すことを諦めたくはない。この強い信念だけは,亡父譲りのものであり,実際,そう念じながら生きていると,不思議なことに自分の考えに共感して傍に来てくれる人がいる。そういう人を,自分は死ぬまでひとりひとりと増やしたい。 

 

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