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    お金はなぜこの世にあるのだろう…

    • 2017.07.16 Sunday
    • 21:28

    JUGEMテーマ:お金の存在目的とは何なのか…

     お金。すなわち,貨幣。その恐ろしく欲情をそそる存在。人類がこの世界に誕生して以来,今現在に至るまで,生きる為の手段として欠かせぬ存在なのは誰も否定はしないところだ。ただ,遥か昔の未だ貨幣経済が潤沢ではなかった時代においては,人々がそれぞれ各人ごとに必要な物を必要な分だけ分かち合う物々交換が行われていた。しかし,この方法では当然ながら,自分にとって必要な物を持っている人から,その物を譲って欲しいと思った場合でも,相手方が,自分が譲り渡したい物を欲しないときには,それを譲ってもらえないことになり,必要な物が手に入らないという不都合な結果が起きる。そこで,思案の末人々が考案したのが,この物の交換性において万能性を有するお金,すなわち貨幣である。この交換価値の万能性によって,人々は,どんな物とでも交換が可能となり,貨幣の価値は絶大で,その地位も盤石なものとなった。これほど便利で魅力的なものを人々がほっておくはずはないのは誰にでも判る。

     ただ,自分は,経済学者でもなんでもないので偉そうなこと言えないが,それでも,ここで少し立ち止まって考えてみて欲しい。そもそも物々交換の不便性は何であったか。それは,要するに,この貨幣のような万能的交換価値を持ち得なかったこと,つまりは,仮に,ある種の物を大量に所持する者がいたとしても,それを欲しがる人がいないとすれば,その物自体が無用の長物になってしまうだろうし,また,その反対に,少量の物であっても,それを欲しがる人が大勢いれば,引く手あまたとなって,その者は自分に必要な物を容易に手に入れることができるだろう。このことは,現在でも,需要と供給の市場原理として,当たり前になっている。ということは,これを極めれば,人が欲しがる物を持っている人のところには,交換価値の万能性を有する貨幣が,無限大になるほど集まって来るということになる。ここで,物といったが,今では,需要と供給の関係さえ成り立てば,対象は必ずしも物ではなくても構わないことは,IT企業の飛躍的躍進を見れば明らかだ。

     その一方で,人間という存在に目を向けると,物欲,何欲などといった恐ろしいほど強大な欲求を内に秘めているのも事実だろう。その欲深き人間が,一人や二人ではとても使い切れないほどのお金を手にしたら,その結果も言わずと知れたものになることも誰もが思うところだろう。人間の理性はお金の万能性の虜となり,人の生活維持の手段であったお金が,いつのまにかお金を持つこと自体が目的となる。これはいわば本末転倒で,ナンセンスなことではあるが,お金の絶大な威力には,煩悩深き人間は勝てるはずもないということか。事実,現代社会においては,わずか数パーセントの人間が,世界中に出回る富,いわゆる貨幣を独占していると報じられている。そして,自分が思うに,その他の日々平和に生きるほとんどの人達は,ある程度の中流意識以上の感覚で,生活に際立った支障はないと,半ば満足しながら生活しているのが現状なのではなかろうか。その意味では,安定した経済社会になって喜ばしいとも考えられるが,例えば,回転寿しで,人々がシャリを残して具だけ食する無駄使いを見るにつけ,必要な物を必要な分だけ入手する仕組みの物々交換の時代の方が,物を大切にする心を宿していた点で良かったのではないのかと思ったりもする。

     そして最後に,今回,自分が本当に投じたかった疑問がある。昨日,「闇の子供たち」という映画を見て衝撃を隠せず,ますますその思いを強くしたからだ。目を背けたい場面も多々あったが,目を凝らして向き合った。これは,今もタイだけではなく,東南アジアのいわゆる発展途上国においては,その貧民街,スラム街で起きている事実なのではなかろうかと思わせられる。ある事実報道を追求した主人公記者が,自分の過去の遺恨に泣き崩れるという思わぬ結末で映画は締めくくられるのではあるが,その記者の追求した闇の世界の過酷な現実は,本当に信じ固きものだ。需要と供給で成り立つ市場原理の現代社会においては,極度の経済的弱者は,その犠牲となってこの世に生まれた甲斐もなく,非業な運命に抗うことさえ許されないのか。それは,親もやむを得ず,承知の上での幼児の人身売買だ。そのつぶらな瞳にどんなにかこっちの胸が痛めつけられたものか。売られた先では,傷だらけになるほどの暴行や性的虐待を受けた挙げ句,裕福な先進国の子供の臓器移植提供者となって,命を落とす運命を辿ることになる。なぜなら,脳死を待てない子供への心臓などの臓器移植なのだから,その臓器提供者の子供達は,当然命は強制的に奪われるのだ。まさに「闇の子供たち」と称する由縁だ。その上,臓器移植を受ける大金持ちから支払われた数千万円という大金は,そのほとんどが違法手術を行なう医師や仲介人等に亘って,臓器提供者の子供の貧困家族には亘らない。この「人命」すら「物」として,商品売買にしてしまうこの裏社会。そして,金欲に溺れてあらゆるものを貪り尽くす輩ども。これが,お金の万能的交換価値の魔力に,魂すらも売り渡した人間達の現実だろう。しかし,裏社会といえども,それを形成しているのは,紛れもなき自分達と同じ人間だ。人間には,これほどまでに残虐なことができる本性があるということか,それとも,お金という人間が持ちいる魔術の技に,思うとおりに翻弄されてのことなのか。

     どちらにしろ,心の弱い人間には,お金という諸刃の剣は,使いこなすのは容易なことではないということだろう。ただ,交換上の万能性という利便性には,くれぐれも注意しなくてはいけない,決して「人の心」は売り渡してはいけないということだろう。当たり前だが,人命は,絶対に売買すべき物ではないのだから。疑問符しか投じられない自分が情けないが…。

     

     

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